こんにちは。最近、初めて伊坂幸太郎さんの作品を読みました。あまりの面白さに目ん玉が飛びでるぐらい驚いてしまいました。僕の右目は今、大西洋の東側を浮かんでいます。
HAPPY BOMBERです。
今回は近況を書こうと思います。
2026年になって早三か月、気づけば卒業シーズンが到来していました。18歳になったことを嘆いていたら、いつの間にか卒業……目まぐるしい環境の変化に少々、疲弊しています。
変化は誰にでも等しく訪れるもので、誰も逃げられはしません。仮に逃げようと試みても、必ず失敗に終わり、かえって以前よりも悪い状況に置かれます。
立ち向かわないとしゃあないわねってことです。
これを読んでいる皆さんはどんな状況に置かれている人なのでしょうか?
色んな人がいると思います。例えば…
・労働して国民の義務を果たす尊敬すべき社会人
・内なる野望を秘めつつ、日々煩悶を続ける学生
・やさしいパパママといっしょにこのぶんしょうをよんでいる
ほいくえん・ようちえんのおともだち
・上記のうちのどれでもない人
僕は現在、↑の「どれでもない人」になりそうになっています。
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2026年の始まりはちょうど冬の真っ只中。強い寒波が訪れ、その冷え込みに喘いでいる人が日本列島が埋め尽くす……非常に苦しく、また見苦しくもある季節でした。
…ですが僕はそんなことを気にしてはいませんでした。正確に言えば気にする余裕がなかったのです。
一体なぜなのか?
理由を察した方もいるでしょう。なんなら当事者の方もいるかもしれません。
そうです。
目前に大学受験が迫っていたからです。
現代では高校三年生のうち約57.7%、おおよそ三分の二の同年代が大学へと進学する現代。もはや入試は一種の通過儀礼へと変貌を遂げています。
例に漏れず僕も受験生。まだ見ぬ友人や、軽やかに煌めくキャンパスライフへの想像を膨らませていた……ということはありません。猛烈に焦っていました。
目前に迫る1月17,18日の共通テスト、それによって受験結果が大きく左右されます。手短に言えば、人生の分岐点が目前に迫っていたのです。どんな鋼の心臓を持った人間だって、流石に焦ることでしょう。
「こんなペーパーテストでお気楽に人生左右されてたまるか!」とか「いやいや、こんなテストすら解けないようじゃ社会で使える人間にはなれないだろ?」とかとか、
「そもそも学歴の必要性って何?大学名じゃなくてやりたい学問を選べよ」「目の前のことから逃げるな!」「逃げも選択肢の一つだろ」「そんなのは言い訳だろ」とかとかとかとかとかとかとかとかとかとかとか……。
脳内ではバイオレントなレスバトルが繰り広げられ、自分VS自分なので決着もつかず、いつまでたってもウジウジと悩み、どんどんと気分が沈んでいきます。最終的には自分の忘れたい黒歴史を思い出して、ふて寝して終わりです。
「非生産的」という言葉の具体例としては、これ以上ないくらい完璧だと思います。
まあ結局のところメンタルが弱いんですよね。時間は待ってはくれないのであっという間に共通テスト当日が訪れ、当然の敗北。なんとか第一志望に特攻するも、手応え的にまず合格はない。失敗と呼んで差し支えない、いやむしろ失敗と呼ぶべき結果だと思います。
しかしながら僕は非常にプライドが高く、また自分の失敗を認められないタイプなので、諦めがつきません。入試を受けた時に訪れたあの街……どうしてもそこで僕は学びたくなりました。実際にはやらなくとも、心の中では幼児顔負け、驚愕の駄々こねをしています。
はっきりと言います。僕は浪人するかを悩んでいます。なんなら普通に浪人しないといけない可能性が浮上しています(滑り止めの出願を思いっきりミスしたため)
ここから後期試験が始まりますが、そこで落ちたら否が応でも浪人をしなければなりません。僕は今、崖っぷちに立たされています。
まあ、ここまで言ったらあとは書けることがありません。ここからは特に進展があるわけでもないです。周りには桜が咲き春が訪れている一方で僕は、こたつでみかんを食べながら次の季節が来ないと知って泣いているかもしれません。とにかく頑張ります。
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他にも色々なことがありました。このHAPPY BOMBERのアカウントを、友達がふざけ半分で同級生に教えまくって学校に行きづらくなったりもしました。軽めのいじめっぽいやつですね。
当初の約束通りをそいつを殴って縁を切りました。当然の行いだと思っています。
ただ、ペナルティが課せられたら一気に卒業が危うくなります。僕は卒業…できるのか?
色々辛いことがあっても卒業が近づくとなんだか気分が楽になります。鬱屈とした環境から逃れられるのが非常にうれしいです。
仮に浪人することになっても音楽活動は辞めはしないと思います(アイデンティティを完全にHAPPY BOMBERに依拠しているので)。
なんやかんや生きるのは下手ですが、それなり楽しく生きていけるように頑張ります。
ありがとうございました。
昔話 をします。 僕はまわりと比べて賢い子供でした。 礼儀作法が完璧で、大人びた言葉を使い、学校の勉強では1,2位以外をとったことがありません。それゆえ大人たちからは褒められることが多く、近所でも評判の優等生でした。 最も、それは僕自身の才能や努力によって得られたものという訳ではなく、しょっちゅうヒステリックを起こして、顔を合わせるたびに、理由もなく僕を2,3時間怒鳴り続ける母と、ほとんど家に帰らず妻ではない女と遊びまわってる中年の父から、自分の心と体を守るためにそうならざるを得なかっただけなのです。 たまに父と会うと、頭からビールをかけられたり、真夜中に家の外に締め出され、家から車で一時間弱かかる所に住んでいる祖母が助けに来てくれるまでそのまま放っておかれることが多々ありました。僕の幼少期の記憶はそんなものばかりです。楽しかった記憶はありません。 毎日のように否定の言葉を投げかけられた子供は、大抵の場合、全てに対して臆病になるか、大人に対して酷く従順になります。僕は後者でした。僕が成長して、両親と喧嘩しても負けないくらいの体格になるまで、大人から言われたことにNOと言ったことはありませんでした。皮肉なことに、そういう風に過ごしていると人生は上手くいくようでした。 中学3年生になり、背も伸び力もつき、知恵も回るようになったころ、僕の理解者を自称する人たちからよく、「不真面目になったね」とか「変わっちゃったね」と言われました。 僕からしたらそんな言葉を投げかけてくるやつは、他人に対して全く興味を持ってない、外面ばっか気にした、クソキモい自己満野郎です。モノをくれるわけでもなく、助けてくれるわけでもなく、傍から心配してる風の言葉を投げかけるだけならば、正直言って消えてほしかったです。勝手に「可哀そうな子」というレッテルを貼ってくるのは、無関心よりも悪辣でした。 この頃から僕は少しづつ自分の意見を表明できるようになりました。自分の考えたことを喋り、自分のしたいことをして、自分の行きたい場所に行く。それが出来るようになって僕は段々と息詰まることが減り始めました。勿論、良い面ばかりでは無く、友達との言い合いやや喧嘩が増えました。素行面で多少の問題があると言われるようになり始めました。 それに比例するように周りから「変な奴」と言われるようにもなりました。「あんな子がいて、両親は...
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