スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

最新の投稿

卒業…できるのか?

最近の投稿

良い本

  今日は2週間ぶりにランニングをした。少し疲れた気がする。  小学生の頃は運動がてんで駄目で50mを走り切るのに20秒近くかかっていた。小学から中学まで続けた野球のおかげで、外れ値にはならないくらいには動けるようになったけれど、今でもたまに自分の足の遅さが嫌になる。思い通りに体を動かせたらどれだけ心地いいんだろう…と頻繁に妄想する。  僕はそもそも妄想するのが好きだ。頭の中の世界はいつだって僕の居場所にだった。そこでは際限なく幸せになれるし、際限なく悲しくも寂しくもなれる。ドラゴンを出せたり、何処かの国のお姫様になったり、世界を動かす政治家にもなれた。売れない小説家の満たされなさに満ちた半生を想像するのがお気に入りだった。現実での僕の満たされなさも小説家からすればきっと幸福だったのかもしれない。そういう事を考える度に少しずつ何かが報われている気がする。分かり合えなさを理解している気がする。  僕にとっての「良い本」っていうのはそういうものなんだと思う。良い本って一口に言っても、その良いの種類は沢山あるだろう。僕が好きな良い本は読んでる時に走っているような感覚になれる本。風を切っているような感覚になれる本。ワクワクでもドキドキでも物悲しくたって構わないけど、息切れしてる感覚になれる本が好きだ。蓋しそれは僕の空想癖の性癖に似た部分と少しだけ共通点を持っているからだと思う。  

爽やかな陰険野郎

昔話 をします。 僕はまわりと比べて賢い子供でした。 礼儀作法が完璧で、大人びた言葉を使い、学校の勉強では1,2位以外をとったことがありません。それゆえ大人たちからは褒められることが多く、近所でも評判の優等生でした。 最も、それは僕自身の才能や努力によって得られたものという訳ではなく、しょっちゅうヒステリックを起こして、顔を合わせるたびに、理由もなく僕を2,3時間怒鳴り続ける母と、ほとんど家に帰らず妻ではない女と遊びまわってる中年の父から、自分の心と体を守るためにそうならざるを得なかっただけなのです。 たまに父と会うと、頭からビールをかけられたり、真夜中に家の外に締め出され、家から車で一時間弱かかる所に住んでいる祖母が助けに来てくれるまでそのまま放っておかれることが多々ありました。僕の幼少期の記憶はそんなものばかりです。楽しかった記憶はありません。 毎日のように否定の言葉を投げかけられた子供は、大抵の場合、全てに対して臆病になるか、大人に対して酷く従順になります。僕は後者でした。僕が成長して、両親と喧嘩しても負けないくらいの体格になるまで、大人から言われたことにNOと言ったことはありませんでした。皮肉なことに、そういう風に過ごしていると人生は上手くいくようでした。 中学3年生になり、背も伸び力もつき、知恵も回るようになったころ、僕の理解者を自称する人たちからよく、「不真面目になったね」とか「変わっちゃったね」と言われました。 僕からしたらそんな言葉を投げかけてくるやつは、他人に対して全く興味を持ってない、外面ばっか気にした、クソキモい自己満野郎です。モノをくれるわけでもなく、助けてくれるわけでもなく、傍から心配してる風の言葉を投げかけるだけならば、正直言って消えてほしかったです。勝手に「可哀そうな子」というレッテルを貼ってくるのは、無関心よりも悪辣でした。 この頃から僕は少しづつ自分の意見を表明できるようになりました。自分の考えたことを喋り、自分のしたいことをして、自分の行きたい場所に行く。それが出来るようになって僕は段々と息詰まることが減り始めました。勿論、良い面ばかりでは無く、友達との言い合いやや喧嘩が増えました。素行面で多少の問題があると言われるようになり始めました。 それに比例するように周りから「変な奴」と言われるようにもなりました。「あんな子がいて、両親は...