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”センキュー”の一言で済ませていいのかな

僕の誕生日が明日に迫った。
今(2024/10/09)、僕は16歳だ
16歳というのは「大人になるための蛹である」と僕は考えている。子供と呼ばれる年齢の境界線であり、大人になるための教養を身に着けたり、精神の落ち着かせ方を覚えたりするような時期であると思う。大人になるための知識を集めて、それを自分の殻の中で自身の一部として再構築する。そういう過程が、幼虫が蛹になる様子と似ているんだなと、僕は思う。
16歳だった一年間を回顧してみると、実に貴重な経験を、ネット活動と実生活の両方で、沢山出来たと思う。

ネット活動の面で言うと僕は、去年の11月の終わりごろ、「クラムボンを殺したのは僕です。」という曲を投稿し、ありがたいことに多くの人に自分の曲を聴いてもらえるようになった。当時は、あまりに突然の出来事だったため実感が湧かず、無理やりにでも実感が湧かせるために、友人相手に「有名人になっちゃった」と、お道化ていたのを覚えている。(それでも現実に起こったことだと信じられなかったけど)
この曲を投稿してからは、より音楽に力を入れるようになった。クラムボンの人気にあやかるためにシリーズ化もしたし、今まで以上に貪欲に作曲・編曲について学ぶようになった。結果的にそのシリーズは半年強ほど続き、今年の5月にめでたく終わりを迎えた。

このシリーズが終わってから僕は、今後の活動について考え直したことがあった。どこまで音楽を続けたいのか、どういう音楽を作りたいのか、自分自身は音楽とどう付き合っていきたいかなどを熟考した。いざ考えてみると、案外自分が何も考えていなかったことに気づいた。そこから段々と自分は空っぽの人間なんだなと思うようになってきた。この感覚は今でも僕の中に深く根付いていて、最近の曲の根底にはその感覚がある。

結局、僕は何者なんだろうか。目的を持たないで生きているのではないだろうか。ただ生きているだけという贅沢な怠け者ではないのだろうか。僕はずっと恐怖している。段々伸びなくなってきた登録者、思うように行かない作曲、薄っぺらく感じてしまう自分の歌詞。
全てが、僕の不運ではなく自分の怠惰によって引き起こされた必然の結果だと考えるたびに、僕は酷い後悔に襲われて、先を見据えた努力をすることが出来なくなる。

こんな悩みをとても悲しげに書き連ねることが出来るほど恵まれていることを、作曲なんていう趣味を続けさせてもらえることを、作った曲を聴いてもらえることを、生きることを許されていることを、”センキュー”みたいな、感謝の一言で済ませていいのだろうか
僕には分からないけれど、考え続けなければいけないと思う。

ただただ暗いことを書いたけれど、僕はこれからも全力で音楽を続けるつもりです。
応援していただけると嬉しいです。ハッピーバースデイ!

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