反省です。ケータイのメモにあったのを少しずつ書いていきます。
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気づくと時間が進んでいることが増えた。いつの間にか六月が終わりかけている。大したことしてねえまま、堕落した日々に甘えて時間を捨ててしまった。内省。
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生きていると、毎日、後悔と自分しか認知することの出来ない罪っていうのが自分の内側に溜まってく。とはいえ1日に1つ2つしか溜まらないので、何日か寝て起きたら忘れてる。
でも滅茶苦茶な気分の時やムシャクシャした気分の時は、それを忘れることができずにずっと抱え込んでしまう。そうしてそれを処理できなくなった頃に築いてきたもの(信用や友人)を失ってしまう。
言葉や拳の形をとって、暴言や暴力になってしまって失うのだ。
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今日のやつには後悔はない。ただ、暴言や暴力になることを止められなかった自分に対して、深い憤りを覚えている。命令のように他人から言われたり、気怠そうなトーンでタメ口をきかれると、自分は「舐めた態度をとるんじゃねえ!!!」と怒ってしまう。これは多分、潜在的な意識の中で「自分のほうが格上だ」と思ってしまっているからだ。つまり、自分がエライ人間だと思っているのだ。
こんなのはいけない。ロクでもない奴だ。だから私は人から距離を離されることが多いのだろう。唯我独尊のワガママ野郎だ。自分に嫌気が差す、溜息が止まらない。
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何も考えなくて良い時間が欲しい。ぼーっと空を眺めていたい。しがらみも重力からも逃れて、本当に力の入っていない状態で生きていたい。
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宮沢賢治の作品は難しい。自分がバカなだけだけど。小説なのに文にリズムがあって、気持ちよく読めてしまう。その結果、内容を捉えて頭に入れる前に次の文へと進んでしまうので、起きていることを見失ってしまうのだ。自分が考えることをしない(「出来ない」より「やり方を知らない」の方が正しい)人間だと言うことを改めて認識させられた。
わからなかったので解説をみた。その時に「春と修羅」という作品に賢治の心情が現れているというのを聴いて、調べてまた解説を読んだ。その時に米津玄師の記事も出てきた。そのうち、インタビューやエピソードを見始めて、Flamingoの歌詞の解説も見た。自分で考えられる様にならないといけない。
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僕はこの先、音楽でどうなっていきたいのだろうか。本気で考えてるわけじゃない気がする。所詮趣味の域をでないような、未だに気取っているような、そんな感じだ。多分自分はロクでもない人生を送るのだと思う。自殺するかもしれない。借金するかもしれない。目の前の迫りくる現実から目を背けていて、自分に確固たる自信がないことによる空虚な自尊心と孤独な自我が深く深く芽生えている。
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自分はこういう人を指す言葉を知ってる「甘ちゃん」だ。仮面のように表面にひっついた言葉(自分の心の深くまで根を張っておらず、偽物の、仮面のような振る舞いなども含む)で誰かを騙せている気になっているのだ。そんな上手く行く訳がないのに。周りの皆が優しいだけだ。
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デジタルタトゥーを彫りまくったらデジタルヤクザになるのかな。
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反省と自傷を履き違えてはいけない。誰も幸せにはならない。世界にとってチンケな自分が、地球にとってチンケなスペースにあるチンケな学校で、くだらねえことをして冷笑や冷たい視線、至極真っ当な正論に自分がキレてしまったことによる大量のヘイトを得ている。
それらは多分、一種の開き直りからくるもので、「もうどうなってもいいぜ!」って気持ちの表れだ。明日には空に向かって「お天道様が大っ嫌いだ!」とか叫んでみようかな。やらないけど。
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素朴な人間になりたい。つまらない人間でも、無知な人間でもなく、全てを素直に受け入れるような、そんな人間になりたい。
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「ペンギン・ハイウェイ」はなんど読んでも面白い。自分のお気に入りの中の一つだ。
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僕のことを嫌ってください。罵ってほしいです。孤独になりたい。
そんなこんなありつつ、新曲は2,3曲ほど出来かけています。ゆっくり投稿していくので見ててください。
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