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6月, 2024の投稿を表示しています

③内省

反省です。ケータイのメモにあったのを少しずつ書いていきます。 ◆  気づくと時間が進んでいることが増えた。いつの間にか六月が終わりかけている。大したことしてねえまま、堕落した日々に甘えて時間を捨ててしまった。内省。 ◆  生きていると、毎日、後悔と自分しか認知することの出来ない罪っていうのが自分の内側に溜まってく。とはいえ1日に1つ2つしか溜まらないので、何日か寝て起きたら忘れてる。  でも滅茶苦茶な気分の時やムシャクシャした気分の時は、それを忘れることができずにずっと抱え込んでしまう。そうしてそれを処理できなくなった頃に築いてきたもの(信用や友人)を失ってしまう。  言葉や拳の形をとって、暴言や暴力になってしまって失うのだ。 ◆  今日のやつには後悔はない。ただ、暴言や暴力になることを止められなかった自分に対して、深い憤りを覚えている。命令のように他人から言われたり、気怠そうなトーンでタメ口をきかれると、自分は「舐めた態度をとるんじゃねえ!!!」と怒ってしまう。これは多分、潜在的な意識の中で「自分のほうが格上だ」と思ってしまっているからだ。つまり、自分がエライ人間だと思っているのだ。  こんなのはいけない。ロクでもない奴だ。だから私は人から距離を離されることが多いのだろう。唯我独尊のワガママ野郎だ。自分に嫌気が差す、溜息が止まらない。 ◆  何も考えなくて良い時間が欲しい。ぼーっと空を眺めていたい。しがらみも重力からも逃れて、本当に力の入っていない状態で生きていたい。 ◆  宮沢賢治の作品は難しい。自分がバカなだけだけど。小説なのに文にリズムがあって、気持ちよく読めてしまう。その結果、内容を捉えて頭に入れる前に次の文へと進んでしまうので、起きていることを見失ってしまうのだ。自分が考えることをしない(「出来ない」より「やり方を知らない」の方が正しい)人間だと言うことを改めて認識させられた。  わからなかったので解説をみた。その時に「春と修羅」という作品に賢治の心情が現れているというのを聴いて、調べてまた解説を読んだ。その時に米津玄師の記事も出てきた。そのうち、インタビューやエピソードを見始めて、Flamingoの歌詞の解説も見た。自分で考えられる様にならないといけない。 ◆  僕はこの先、音楽でどうなっていきたいのだろうか。本気で考えてるわけじゃない気がする。所詮趣

②向くまま

 鬱っぽい気分なので日記を残します。自分が感じていたことを忘れないようにする為です ◆  自分は何のためにブログを書いてるのだろうか。考えてみると分からない。自分の思想を伝えたいとか、新曲の情報を公開したりだとか、そういうことに使おうと思って書いているわけじゃない。ただ無心。何も考えていない。 こんなことばっか考えてるから阿呆なんだろうな、自分は。 ◆ 【自分の実在の感じ方】  半袖半ズボンで外に出て、立ち止まってみる。自分の本体はこの体の100分の1も無い様な大きさだと思いこむ。まるで巨大ロボを操るパイロットだ。  そうして下を向くと自分がとても高いところにいる感覚がする。そのうち落ちてしまうのが怖くなって足が震える。恐怖が限界に達して不意に「ああ!!」と叫ぶと、そこでやっと自分の足が地面についているのが分かる。自分は落ちない、そう思った瞬間に安堵する。  こうして自分の実在を感じるのだ。 ◆  怒りを原動力に何かをするのは良い。大きなエネルギーを持っているから。でも怒りを原動力に何かを作るのは危険だ。受け取った人に怒りが伝播するか、もしくは傷つけるかをしてしまう。怒りってのは大きな力を持っている。嫉妬や妬みなどの力を持たない負の感情とは比べようもないような大きいやつ。  負の感情ってのはツマラナイ。だからあんまり発信したくない。 尤も、自分の心情の九割九分は前述のような負の感情なので、発信しないようにしたら殆ど空っぽになるのだけれど。零割一分を育てようと思います。 ◆ 「うんこは汚え」と思った。自分の栄養になってくれたのにゴメン。 でも尊敬はしてる。 ◆  風が吹く。枯れかけの街路樹の葉が散る。黄色い。「これから夏だってのに、勿体無え」と思ったけど野暮だ。余計な一言。 ◆  最近の自分はつかれているのかもしれない。たまに目の前が赤色や青色、黄色、緑色にぐるぐる変わってクラクラしてしまう。全く恐ろしい。そういう時はため息を一つ大きく吐く。すると徐々に直ってく。  まあ多分、ただの睡眠不足だと思うのでたくさん寝ます。サイケデリックを作る時の参考になるかな。 ◆ おやすみなさい。